日本:初出「ビッグコミック」1999年4月10日発売 No.868
フランス:エッセイ集「l'Apprenti Japonais」収録/レザンプレスィオン・ヌーベル社(2006)

 
 
 
 
仏映画の主人公の恋人。
その後、跡形もなく姿を消す。彼女になにが起こったか、誰にも分からない…。
  アメリカ映画のヒーロー。
得意種目は、爆風より速く走ること。
仏映画の主人公。
例外的に、ラストで死ぬことはない。が、彼の親友は交通事故で炎につつまれてしまう。
  ビルは崩壊、破片は200mを越え飛び散る。が、ヒーローは窓から無事、脱出!
 
 
 
日本ではアメリカ、フランス、そして自国の映画を観ることができる。

いまの日本映画は、戦後、50年代の華々しさと比べると、正直、はかばかしいとはいえない。少数の、才気ある監督の努力もむなしく、高価な映画館に配給される、日本人向けの、パッとしない作品だけが残っている(東京では入場料1,800円、なんとパリの2倍!)。 ニッポンの俳優サンたちといえば、何人かの本物の役者は別にして、映画よりもファッションショーやシャンプーのCMに出てる感じがする。

フランス映画界にとって、日本は世界第2のマーケット。ウチの近所の「TSUTAYA」には、パリのどんなレンタルビデオ店よりもフランス映画が多い! でも偏見って恐ろしい。日本人の多くが信じて疑わないのは── " Fin " (*)で終わるフランス映画はいつもクライ、と。主人公は殺されるか、または愛する女性が死ぬか──悲劇的ラストって、ニッポンの観客にはあまりにも複雑すぎるらしい。考えることがいっぱいあって、頭痛がするんだって!

日本の一般大衆は、ジェットコースターを楽しむように、映画を観に行く。興奮を味わいに、いやむしろ、な〜んにも考えないために! だったらアメリカ映画ほど便利なものがあろうか? 簡単に予測できるストーリー、あらかじめ分かりやすいシナリオ。20分先、なにが起こるか、すぐ読めちゃうんだから…。

たとえば、フィアンセを残し、勇ましく旅立つ若き兵士などは確実に冒頭で戦死。また、警察署長はきまって黒人でしかもいつも怒っていて、事件を解決するためにまず、主役コンビをクビにしなきゃならない。そのほか、メッタ打ちにされたヒーローは、トラックに衝突、特急列車から落下、ヘリコプターからの一撃を食らう。だけどゼンゼン平気! でもって、いつデリケートな人間に戻って、いじらしい悲鳴を上げるかって? もちろん、ちょうど映画の中盤あたり、恋人にスリ傷の手当をしてもらってるところ!
ああ、なんと素晴らしい、安心保証のハリウッド映画。驚きのカケラもなく、予定調和で、動揺することもない。考えるものがな〜んにもない! ここは解りやすい世界だ。住むのは善玉(主人公、その相棒、主人公の恋人、相棒の妻)、愚か者(警察署長)、悪玉(サイコな大量殺人鬼か人食い魔、または国際級テロリスト)。そう、あんまり悪玉たちが怖いので、主人公たちは、枕の下にピストルがないと、おちおち眠ること(セックス含む)ができない。

さて、お約束シーンの続き。コンピューター画面を見つめる顔をくっきり照らし出すモニター(時々文字入り)の明かり。絶体絶命のピンチ、われらがヒーロー走るビルの廊下、その背後を襲う見事な爆発(絶対に巻き込まれないけど)。カーチェイスの真っ最中、必ず道路を横断していく不注意なママ+乳母車。さらにトンマな悪役のほうは、容赦なくただちに脇役らを皆殺しにするほど冷酷であっても、最大の敵(もちろんヒーローね)が相手となると途端に時間をかけていたぶり殺そうとする。しかもその死刑執行だって、あまりにじわじわ、凝りすぎちゃうからいつも失敗!

善玉と悪玉が一度に何人をも虐殺、だけど大したことじゃあない。日本人なら映画のラスト、主人公が無事であれば大量殺人もOK…「ああ、楽しかった!」
でもたったひとり、主人公がラストシーンで死ぬ、となればもうダメ。あまりにつらすぎる…「アタマ痛い!」ってね。
 

(*) ちなみに "フィン" でなく"ファン"と発音
 

翻訳 / 関澄かおる

 
© 2006 Les Impressions Nouvelles / Frederic Boilet