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2006.6.3/更新

1960年1月16日
エピナル(フランス)生まれ。

1966年12月25日
マドレーヌおばあちゃん宅で初めてのクリスマスを祝う。

1972年
聖体拝領式を迎える。

1978年
国立ナンシー美術学校入学。

 
1983年
卒業と同時に最初のBD(ベーデー;フランス=ベルギー漫画)作品「la Nuit des Archees」(脚本:ギー・ドゥフェイユ、バイヤール・プレス社)出版。
その後、「la Fille des Iberes」「le Cheval-Demon」(脚本:ルネ・デュラン、グレナ社)を経て、87年、初めて自身による完全オリジナル作品「le Rayon vert」(マジク・ストリップ社)を出版。

1989年1月〜91年2月
アングレーム美術学校シナリオ科で教鞭をとる。この時期、自身の創作活動の傍ら、生徒らの作品集「les Enfants du Nil」(ギー・デルクール社)立案と制作指導。

1990年1月
アルバム「36 15 Alexia」レ・ズマノイド・アソシエ社から出版(2004年1月、エゴコミックス社からリニューアル出版)。
現代アジアをテーマに、ルポルタージュとフィクションを織りまぜつつ、ブノワ・ペータースとの共同制作を開始。
フランス文化省奨励金及び昭栄化工株式会社の後援を受け初来日、「Love Hotel」制作。

1992年
月刊誌「ア・スィヴル」に「Love Hotel」連載。 93年、カステルマン社から出版(2005年12月、エゴコミックス社からリニューアル出版)。
94年、アングレーム国際漫画フェスティバルにてアルフ・アール賞93年度最優秀5作品に選出される。

1993年
第一回講談社モーニング国際漫画奨励金受賞、東京に1年間の滞在。

1994年
フランス外務省奨励金受賞、日仏交流会館「ヴィラ九条山(京都)」に半年間滞在。
ペータースとともにアルバム「Tokyo est mon jardin (東京は僕の庭)」制作を開始。漫画家、谷口ジローの協力も得て完成。
この滞在期間中、大阪総合デザイン専門学校漫画学科とアングレーム美術学校BD科の国際交流に協力。
96年4月、両校の共同作品集「l'Echange(交流)」として成果を得る。

1995年
帰国、パリのヴォージュ広場にある「アトリエ・デ・ヴォージュ」に仕事場を構える。同アトリエの仲間として、ダビッド・ベー、クリストフ・ブラン、エミール・ブラヴォ、エマニュエル・ギベール、ジョアン・スファール、トゥロンシェらがいる。

1996年10月24日
パリにて「Tokyo est mon jardin」で“君恵”のモデルとなった日本女性、関澄かおると結婚。
同年末、新作「le Royaume des Possibles」のためカンボジアに2か月の取材滞在。

1997年1月
Tokyo est mon jardin (東京は僕の庭)」カステルマン社より発表(2003年4月、コレクション「Les Classiques」にてリニューアル出版)。

1997年2月
定評あるエール・リーブル・コレクション(デュプイ社)よりペータース、ギベールらとのコラボレーションで「Demi-tour」出版。

1997年5月
東京に居を移す。

1997年6月
シエール(スイス)国際漫画フェスティバルにて「Tokyo est mon jardin(東京は僕の庭)」がジャーナリスト・ベスト・アルバム賞を受賞。

1997年12月
光琳社より季刊誌「ストア」創刊号にて「恋愛漫画ができるまで (Une belle manga d'amour)」。

1998年5月
東京は僕の庭 (Tokyo est mon jardin)」(光琳社)日本語訳出版。このころから「ゆき子のホウレン草 (l'Epinard de Yukiko)」の制作を始めるとともに、「ボワレの目 (Prisonnier des Japonaises)」(小学館・隔週誌「ビッグコミック」巻頭カラー3ページのイラスト付エッセイ)連載開始。

1998年12月
美術出版社の月刊アート誌「BT」のために小品「まりこの正座ダコ (les Ampoules de Mariko) 」を発表 (仏語版は1999年10月に雑誌「Lapin No. 25」掲載)。

1999年1月〜6月
現代ニッポンの若者をテーマに「今様生態図鑑 (l'Encyclopedie illustree de la jeunesse)」(朝日新聞・関東版・土曜朝刊)を連載。

1999年7月
ビッグコミック増刊号カラーページにて「日本はスバラシイ! (les Petites Vestes de Boilet)」掲載。

1999年8月
日本で2冊目となる単行本「恋愛漫画ができるまで / フレデリック・ボワレ短篇集 (Une belle manga d'amour, et autres recits edifiants)」を美術出版社より刊行。タイトル作品及び「まりこの正座ダコ 」「ロードtoマイ・ワイフ」「ニッポン女性生態図鑑」と、邦訳版「ドゥミ・トゥール / 半分旅行 (Demi-tour)」を含む 122ページの内容。

1999年10月
紫と共に去りぬ (Autant en emportent les foufounes violettes)」を太田出版発行の季刊誌「Manga Erotics vol.3」に発表。続くvol.4では「ほとんどサイレント (Histoire "presque" sans paroles)」発表 (2000年1月)。

1999年11月
世界各国の著名漫画家による新作短篇を集めた2000ページ大型単行本「Comix 2000」(ラソシアシオン社・仏)にてサイレント漫画「微笑道 (la Ceremonie du sourire)」発表。

1999年12月
タイ、バンコクへ取材旅行。

2000年1月
漫画エッセイ「2049年6月 映倫100周年!」を毎日新聞に掲載。また、短篇小説集「十二宮12幻想」(エニックス)カバーイラスト&挿し絵を担当(2002年5月、講談社より文庫本発売)。

2000年4月
NHK出版発行「フランス語会話」にて「ゆき子のホウレン草」連載開始。また、短篇「チョウガチョウ ほくろ」を「Manga Erotics vol.5」に掲載。

2000年6月、8月
独りで世界を回る。バンコク、プノンペン、パリ、ブリュッセル、ルイジアナ、ニューヨーク、モリシャス島、マダガスカル…。そしてビデオレポートを制作。仏語をテーマにした展覧会「Tu parles?! Le francais dans tous ses etats」のためであり、ブリュッセル、リヨン、ダカールで同展覧会は11月より開催。また、このレポートは「les Francophones du bout du monde」というタイトルで、26分もののドキュメンタリーとして放送(国際仏語放送局・TV5にて2001年3月)、さらにDVD発売(レ・ザンプレッション・ヌーベル社より2002年2月)。

2000年11月〜2001年6月
フランス語会話テキスト誌上にて「ゆき子のホウレン草」連載のかたわら、短編「つるつる」(太田出版「Manga Erotics vol.6」2000年11月、仏語版は2002年1月に雑誌「Ego comme X No. 8」)、「アユタヤ・レゲエ」(同出版社「Manga Erotics F vol.1」2001年2月)、「チクチク」(同誌vol.5、2001年6月)を発表。

2001年4月
関澄かおると共に、「見えない国境」(フランソワ・シュイテン&ブノワ・ペータース著「闇の国々」シリーズ最新作)の日本語翻訳を行う。このBDは、世界に先駆け、季刊誌「error vol.1」(美術出版社)創刊号にて連載開始。また、同誌では、フレデリック・ベジアンの描き下ろし短編「道化師」、マルク=アントワーヌ・マチューのモノクロ作品「ル・デッサン」、ジョアン・スファールの「ルーブルのヴァンパイア」なども翻訳紹介する。

2001年8月
太田出版エゴ・コミックス社より、単行本「ゆき子のホウレン草」完全版日仏同時出版。
同作品はスペインの出版社ポネント・モン社よりコレクション「Nouvelle Manga」にて2003年5月スペイン語、2003年7月独語・英語版、ココニノ・プレス社より2004年10月伊語版、大辣出版(ダラ・パブリシング社)より2005年8月繁体中国語版、コンラッド・エディトーラ社より2005年9月ポルトガル語版が発売。さらに2007年9月には、Kultura Gniewu社よりポーランド語版発売。

2001年9月、10月
東京にて「art-Link 上野-谷中 2001」主催のイベント「ヌーベルまんが宣言」を、2週間にわたり開催。
また、短編「エロ漫画ができるまで」(太田出版「Manga Erotics F vol.9」)発表(同作品仏語版は03年1月、カステルマン社&ボザール出版の「Bang ! No.1」創刊号に掲載)。

2002年初頭
日韓サッカーW杯を記念して雑誌「Manga Fever」を制作。これは、季刊誌「error」特別号という形で2002年5月に日本発売(飛鳥新社)、翌6月にはフランスでも発売(Tonkam)。

2002年4〜7月
谷口ジロー著「遙かな町へ・上巻/Quartier lointain, Tome 1」翻訳&グラフィック・アダプテーションに携わる。9月、カステルマン社より発売。この作品は03年1月、フランスのアングレーム国際漫画フェスティバルにてベストシナリオ賞及び、優秀書店賞の2部門で最優秀賞を獲得。

2002年9月〜2003年9月
フランスその他海外に向けて、翻訳&アダプテーション・グラフィックの仕事に携わり、谷口ジロー著「遙かな町へ・下巻/Quartier lointain, Tome 2」がカステルマン社より03年5月発売。また、つげ義春著「無能の人/l'Homme sans talent」はエゴ・コミックス社より04年1月発売。

2003年1月
ヌーベルまんが」活動の一環として、若き女性漫画家・高浜寛&フレデリック・ボワレのコラボレーション作品「まり子パラード」を日本にて太田出版より発表。続いて同年9月にフランス(カステルマン社、コレクシション名「Ecritures」)、04年3月にはスペイン、イギリス、アメリカにて発売(ポネント・モン社、コレクション名「Nouvelle Manga」)。

2003年4月
朝日新聞全国版・水曜朝刊にて「海外メディア深読み」時事イラスト連載スタート。

2003年7月〜2004年3月
内海隆一郎原作、谷口ジロー作画「欅の木/l'Orme du Caucase」の翻訳(マリー・フランソワーズ・モンティエ共訳)、及びグラフィック・アダプテーションを行う。同書はカステルマン社より2004年6月刊行。

2003年12月
年1回発行「ボザール」誌増刊、2004年度BD特集号「B.A.M. Hors-Serie No.9」(フランス)にて描き下ろし短篇(無題)掲載。

2004年
海外メディア深読み」連載の傍ら、1月より、カステルマン社の新コレクション「Sakka」の責任監修を務める。作家主義日本漫画を仏訳したこのコレクション第一弾は2004年秋出版。
「Sakka」は、フランス既発表作家の花輪和一、高浜寛鶴田謙二小田ひで次らを始め、西洋初お目見えとなる岡崎京子、魚喃キリコ、高野文子、南Q太、黒田硫黄、古屋兎丸、五十嵐大介などといった優れた大人向け日本漫画作家らの作品を紹介する。

2005年
ヌーベルまんが国際共同出版の一環として、描き下ろし単行本を編集者・天野昌直と共に企画。小田ひで次著「夢の空地」、日仏アンソロジー「Japon(ジャポン)」の2冊が同年末、日本語版(飛鳥新社)、仏語版(カステルマン社)+4言語で世界同時発売を実現。「Japon」にて短編「アモール商店街」執筆。

2006年1月16日
フレデリック・ボワレが46歳を迎えるこの日、12年間の日本滞在経験をまとめたイラスト、写真&エッセイ集「l'Apprenti Japonais/日本人修行中」が、レザンプレスィオン・ヌーベル社よりフランスで発売…。

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