目次:

Page 1 :  「ヌーベルまんが」 言葉の由来
Page 2 :  「まんが」は女性名詞/「パパの翻訳」
Page 3 :  講談社とカステルマン社がしたこと
Page 4 :  作家のイニシアティブ/art-Link 2001/イベントを始めるきっかけ
Page 5 :  ヌーベルまんが原画展/メゾン・ド・ラ・ヌーベルまんが
Page 6 :  ファブリス・ノーのインスタレーション/日仏学院シンポジウム/プレスの反応
Page 7 :  「ゆき子のホウレン草」/まとめ

  JB - 典型的な日本の内装を活かした(ふすまに畳、自然光、来場者は靴を脱ぎ、オリジナル原稿は低いテーブルの上に設置)の雰囲気は、展覧会よりはむしろ瞑想するのに最適だったのではないですか。原稿を壁に展示し、来場者は立ったまま観賞すると言う従来の BDの展示方法と比べて、このタイプの会場設営は適していなかったとは思いませんでしたか。

「ヌーベルまんが」原画展 ポスターデザイン:小島聡子

  FB - 日本建築の広いスペースを持つ会場は、以前、絵巻物の展示のために作られたものであり、自然と平らな展示方法に落ち着きました。「ヌーベルまんが」展覧会への来場者は、絵巻物の展示の場合と同じく、床に直に座り、原画を見ることになります。原画は最終稿あるいはエスキースで、ビロードの布の上にそのまま置かれました。時にその横に、最終的に印刷製本されたものをそのまま、あるいは中ページを広げたりして展示しました。
  従来の垂直な展示方法では、原稿を読むのではなく、歩き回りながら、絵画のように見ることになりますが、それに比べて、この水平な展示方法の方が、結局の所、BDの本質に全くもって適していると思えました。特に、フレデリック・ポワンスレのオリジナル日記ですが、水平の台の上で、一層際立って見えました。

  JB パフォーマンス展はどうでしたか。これはBDを理解してもらうためのオリジナルコンセプトでしたか。御自身、毎日会場に駆け付け、このために移設した自分のアトリエで展示原稿にコメントしたり、その日の招待作家を紹介などした訳ですが、どの作家がこの企画に乗り気でしたか。またBD作家の日常に触れた来場者の反応はどうでしたか。


「メゾン・ド・ラ・ヌーベルまんが」展
ポスターデザイン:小島聡子

  FB - やまだないとが公開アトリエの案を出した時、多分彼女にとっては、東京の下町にアーティストとその作品を溶け込ませるという、住人との交流推進の意志を持ったフェスティバルart-Linkの独自のエスプリと呼応するものだったと思います。
  私は個人的に、これは日本とフランスの作家同志の交流推進の機会になると見ていました。私が2年間、ダビッド・B、ジョアン・スファール、クリストフ・ブラン、エミール・ブラヴォらと机を並べて仕事をしていたヴォージュ広場のフランス流共同アトリエでのアットホームな雰囲気と創造性といったものは、日本では極端に珍しいこともあり、 日本の作家達と共有する数少ない機会になると思いました。フランス側の参加作家達は全員この企画に賛同し、10日間のパフォーマンス期間中、熱心に参加してくれましたが、残念なことに日本側の作家で会場に来た作家は、ヴァルテールの妻で日本人のユカを除くと一人もいませんでした 。
  パフォーマンス開催日数週間前のやまだないとの不参加表明は、我々にとって良いニュースではありませんでした。でも、よく考えてみると、彼女は不参加表明をしたのではなく、私の見る所、はっきりとした参加表明をしなかっただけだったのではないのかと言えます。正直な所、私にはよく分かりません。ともかくやまだないとの "蒸発" 後、私独りで数週間の間に、彼女の抜けた穴を埋める "奇跡の作家" を見つけることも、他の作家達に連絡を取ることも出来ませんでした。「メゾン・ド・ラ・ヌーベルまんが」でのパフォーマンスはそれにもかかわらず、フランスの作家達と日本の来場者との出会いの素晴らしい実験の場となりました。近くに住んでいて単に好奇心から来た人から、ルポのために来た業界人まで、一人一人がBD作家のアトリエにお客さまとして迎えられ、本棚を自由に閲覧し、作家の仕事を観察したり、何気ないお喋りをしたり、テラスでビールやお茶を作家と共にしました。こういう時間を再び持つのは、なかなか難しいでしょう。

  JB - 「メゾン・ド・ラ・ヌーベルまんが」会場2階では、ヴァルテール&ユカのカラーリング展があったわけですが、どうしてこれを企画したのですか。色を重視するフランス=ベルギーBDの特徴を出そうとしたのですか。

  FB - 特にそういう意図があったわけではありません。逆に、フランス=ベルギーBDの彩色については日本ではデリケートに扱うべきものと思います。このテーマの展覧会を開催することは来場者が抱く「BDは綺麗な絵本である」という偏見を強めることになりかねませんから。
  実は当初、私はこの2階の小部屋に、全てがモノクロ原稿である「コミックス2000」展を考えていました。
  しかし、6月にヴァルテール&ユカが東京に移住し、彼らに実際会ってみると、共通の友人がいることが分かりました。彼らが共に仕事をした作家のほとんどが、私が日本に紹介したいと思っていた作家達であり、これは、私にとって大きなチャンスに思えました。先ず、エマニュエル・ギベール。「ヌーベルまんが」展で彼の『la Guerre d'Alan/アランの戦争』を紹介するつもりでしたし、次にジョアン・スファール。彼の『グラン・ヴァンパイア』シリーズのエピソードのひとつを雑誌「error」のために私と妻とで翻訳したばかりでもありましたから。
  結局の所、ヴァルテール&ユカに自分たちの作品を展示してもらうことは、彼らの非常に素晴らしいカラリストとしての才能をダイレクトに紹介する以上に、 彼らのフランスBDの驚くべき感性(彼等は90年代のジェネレーションにおける最高の作家達と仕事をしています)とヴォージュ広場の共同アトリエの香りを伝える事になったのです。

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© 2001 Julien Bastide / Frederic Boilet
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